羽生結弦4A(4回転半ジャンプ)
失敗も公式大会で初めて認定される。新時代へ一歩前進!

北京冬季五輪10日のフィギュアスケート男子フリーで羽生結弦選手は公言通り。史上初の
クワッドアクセル(4回転半ジャンプ=4A)に冒頭で挑戦!高さのあるジャンプだったが、
転倒した。続く4回転サルコウも転倒したものの、後半の4回転トウループ―3回転トウループを
成功させるなど、羽生選手らしさを見せて、会場を、TVを通して何十万人、何百万人という
世界中のファンに失敗ながらも4A挑戦、新時代の第一歩の扉を開いて見せた。

羽生結弦選手北京オリンピック4回転半失敗するも認定!一歩前進!

ジャンプ失敗が大幅のマイナス点となり、8日のショートプログラムとの合計が283.21点になり
オリンピック3連覇ならず4位で終了。そんな羽生選手にとって転倒したとは言え4Aは、公式
大会で初めて「4回転半」として認定された
ことは、一歩前進。世界で初めて認定されたことは
『公式戦で初めて4Aを決めたい。それが僕の夢』と語り続けていた羽生選手にとっては
金メダルよりもうれしい『スケート新時代の幕開け』である。

 

今回の北京五輪でも本番2日前に北京入りするまで、仙台市内のリンクで深夜まで4Aを練習し
跳んでいたといわれる羽生選手。フリー後、「報われない努力だったかもしれない。でも、
頑張りました」と声を震わせ、進退を問われると「少し考えたい」と現役続行の明言を避けた。
この2年間はコーチのオーサー氏とも溝ができ一人で4Aの練習をしていたと言う。4Aに取り憑か
れているような印象を受けた。フィギュア界の絶対王者に上り詰めた羽生選手にとって
『世界初の4A成功』が唯一のモチベーションになっている。

羽生選手を育てた、家族はどんな人?

羽生結弦選手は1994年12月7日宮城県仙台市泉区に生まれる。名前は「弓の弦を結ぶように
凛とした生き方をしてほしい」と父親が命名しました。2歳ころから喘息(ぜんそく)の
持病がある。15歳の時に、ぜんそくの持病がありながら五輪の金メダリストになった
清水宏保氏に会い、スケートを続けていくための助言を得た経験がある。

 

肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、投薬治療や吸入薬、ハリ治療、気道を
開く施術、移動時や練習時にマスクを着用して心肺機能を上げる対策を続け、体力面の
ハンディを大幅に改善させました。が喘息は完治したわけではなく、特に練習拠点をカナダに
移してからは環境の変化による激しい発作に襲われることが多くなった。演技前に行う前に
十字を切るような動作は、実際には「士」の形を描いており、『ジャンプの回転軸と両肩を
平行に保つ意識を確認するためのおまじない』である。

▲学歴

東北高校、早稲田大学人間科学部卒業 
卒業論文は学術誌に掲載されている2020年早稲田大学「校友会稲魂賞」 および、
小野梓記念賞 を受賞。

▲体格

血液型:B型、身長172cm、体重57㎏

理想の王者像はプルジェンコ!

2002年ソルトレイクシティ五輪でのプルシェンコの演技を見て心酔し、技の手本とするに
留まらず、彼のマッシュルームカットまで真似した時期もある。彼の得意技であったビール
マンスピンをプログラムに取り入れリスペクトを示してきた。2015年のNHK杯で3つの
世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり
『彼のような存在になれるように努力していきたい』と語っています。

趣味・好きなもの、プーさんや将棋!

▲ぬいぐるみのプーさん

「いつも変わらないあの表情をみるとリラックスできる」との理由でプーさんを好んでいる。
ティッシュカバーにプーさんを愛用している。試合には毎回必ずリンクに連れてきている。
演技後は各国のファンが客席からプーさんのぬいぐるみを投げ入れる光景が定着している。

▲音楽

特に試合前に聞く「勝負曲」はONE OK ROCKの「完全感覚Dreamer」「キミシダイ列車」
とのことイヤホン:音質にこだわるオーディオマニアで、イヤホンを収集している。
普段から約50本のイヤホンを用途に応じて使い分けており、もっとも高いイヤホンは自身の
耳の型を取った特注品で約22万円。音へのこだわりには並々ならぬものがある。

▲スポーツ

父親が野球好きで、その影響で小学生当時は「野球をやりたい」と思った時期もあり、
幼少期より広島東洋カープのファンであり憧れの選手は前田健太(現メジャーリーグ)
地元の東北楽天ゴールデンイーグルスも応援している。

▲将棋・けん玉・お城の観覧

▲好きな食べ物

寿司、餃子、とんかつ、プリンなど

▲きな女性のタイプは

可愛らしくて、守ってあげたくなるような女性が理想とのこと、女優の「上戸 彩」さんのよう
なタイプだそうです。結婚はフィギュアスケートやっている女性が良いとのことです。

羽生選手の家族の紹介

 父親 羽生秀利、母親:羽生由美、長女:羽生沙耶(さや)、羽生結弦(ゆずる)。

 ▲父親は中学校の校長先生。

家族構成は父と母、4歳年上の姉さんと4人家族です。お父さんは中学校の今も校長先生を
しているそうです。教員時代は数学と技術家庭科を担当。野球部の顧問を兼任し部活同を
精力的に指導していたそうです、プロ野球の広島カープのファンだそうです。羽生結弦選手も
広島ファンと言っています。お父さんの影響ですね!お父さんも羽生選手に野球をやらせた
かったようですが、スケートに夢中になっている姿を見てあきらめたそうです。

 

お父さんは、羽生選手がスケートの練習の送り迎えを何年もしていたそうです。羽生結弦選手が
スケートを始めたのは姉がスケートをしていたこともありますが、2歳のころから喘息
(ぜんそく)の持病があり、この喘息を克服するためにスケートを始めたのが大きな理由だ
そうです。特に10代のころは体力や持久力の面で劣ると言われています。そのため肺機能を
上げるなどの訓練を続け今も続けているそうです。   


▲母親はカナダの練習拠点で同居しお世話をしている。

母親の由美さんは、羽生選手と一緒にカナダの練習拠点に同居して羽生選手の世話をしている
そうです。羽生選手のスケートの衣装は母親である由美さんの手作りだそうです。もちろん
デザインから全て製作しているそうです。先にも書きましたが、羽生選手は幼少のころから
喘息(ぜんそく)が激しく、今でも突然、発作に襲われることがあるそうです。そのような
体調のこともあり、母親の由美さんは大会場にも常に同行しているそうです。
先にも書きましたが呼吸の改善のための訓練は今も欠かさずしてしいるようです。


▲お姉さんは仙台のアイスリンクに務めている。
羽生選手のホームリンクだった仙台市の「アイススケートリンク仙台」の職員として働いて
います。羽生結弦選手は4歳の時にお姉さんが通っていた、このスケートリンクに入る。
お姉さんが教わっていたコーチに「動きたい盛りの「羽生結弦くん」にそんなに動き
たいのならスケート教室に入ったら?と声をかけられたのがキッカケとか?
その後お姉さんは体の調子が悪くスケートをやめました。姉の「さや」さんは
その頃から弟の才能を信じていたそうです。