西武の松阪大輔投手が10月19日の日本ハム戦に引退登板!

今季限りで引退を表明している西武ライオンズの松阪大輔投手(41)が10月19日の日本ハム戦
(メットライフドーム)で引退登板する可能性があることが分かりました。今季は背番号
16番ですが、松阪が慣れ親しんだエース番号18番をつけたユニフォーム復活させて
先発のマウンドに上がる可能性がある。と、7月7日に球団を通して引退を
表明したときに渡辺久信GMは松阪について下記のように語っていました。
                   
平成の怪物引退!
『現在、精神面も体調面も決して万全とは言えない状況。今は双方の回復に専念させて
いただきたく、彼のことを引き続き、温かく見守っていただけますと幸いです』と松阪投手の
心身の状況を説明していました。右腕も引退を決断させた右手のしびれと向き合いながら最終
登板に向けて必死に調整していると語っています。球団は松阪の最後のマウンドを目指す
引退登板を盛り上げるために、1日限定で、空番号である18番を復活させる。

松阪大輔投手プロ野球デビュー初登板動画

1999年のプロデビュー戦の日本ハム戦は、今でも鮮明に記憶に残っています。片岡選手の
自分のカラダが一周してしまうほどの強烈な空振り、松阪この時のスピードは155キロの
ストレートでした。デビュー戦で鮮やかなデビューを飾り。その後1999年の5月16日
オリックスのイチロー選手と初対戦戦し新人ながら5年連続の首位打者のイチロー選手を
3三振(1四球)の無安打に抑えた。試合後のインタビューで
『自信が確信に変わりました』と言う名言を残しました。

▲新人王と最多勝を捕った入団時!

この年、16勝5敗で最多勝と新人王を勝ち取り、一気に球界のスーパースターに上り詰める。
その後の活躍は、“平成の怪物”にふさわしい活躍をしました。06年、09年、WBCを連覇に
導いた時代などを経て、メジャーに挑戦07年にレッドソックスでワールドシリーズを
制覇した時代。その後ヒジの手術と肩の手術など、故障に悩まされ晩年は苦労の連続でした。
本人はめげずに手術を繰り返し、リハビリも懸命にしていましたが
右腕のしびれが取れず、今年の7月7日に引退を発表しました。

▲多くの球児に影響を与えた“平成の怪物”である、

楽天の田中投手をはじめ大谷選手、前田健太など多くのプロ野球選手のあこがれであり、
たくさんの影響を与えた“平成の怪物”でありスーパースターである。松阪選手の思い出深い
背番号18番。球団は引退試合の時に引退会見をファンの前ですると発表。各報道関係者には
『ファンの前で、しっかりとお伝えできればと思います』と語っていた通り、ファンに
自ら発信し、その後に現役最後のマウンドに向かう。今季は懸命にリハビリを続けていまし
たが、夢かなわず今季限りの引退を決意。日米通算170勝をマークし、平成の怪物として
ファンに強烈な記憶を残した。下記に簡単に取得したタイトルを記しておきます。


▲松阪選手の主なタイトル

・新人王: (1999)
・最多勝: 3回(1999~2001)
・最多奪三振: 4回(2000・2001・2003・2005)
・最優秀防御率: 2回(2003・2004)
・沢村賞: 1回(2001)
・ゴールデングラブ賞: 7回(1999~2001、2003~2006)
・ベストナイン: 3回(1999~2001)
・オールスターゲーム出場: 6回(1999~2001・2004~2006)